プロ野球選手を目指して尽力した過去と今|中西 啓太さん

中西 啓太さんインタビュー動画

中西 啓太さん

profile

和歌山県出身。
「野球選手になる」という思いを持って部活に励み、大学へ進学。
大学卒業後は新潟アルビレックス・ベースボール・クラブで選手として活躍した後、現在は同クラブで球団職員として働きながら、小学生の野球スクールで指導者としても活躍中。

Nakanishi

やりがいは「毎日自分の好きな野球に携われること」

現在のお仕事はどんなことをしていますか?

新潟にある独立リーグの野球チームで、新たなスポンサーを獲得するスポンサー営業をメインに働いています。
その他には試合の運営や選手の用具関係の担当もしていて、野球に携わる仕事ができているのがやりがいになっています。
あとは球団で少年少女へ向けて野球塾を行っているので、そちらのコーチとして小学生に野球指導もしています。

選手からサポーターになることが決まったときはどんな気持ちでしたか?

元々、今働いている独立リーグのチームで2019年まで選手としてプレーしていたのですが、引退したあとも「野球に携わる仕事をしたい」と思っていたときに、縁あって現職に就くことになりました。やはり毎日野球の仕事ができるのは幸せなことだと思っています。
引退に関しても、自分の中でしっかり割り切って区切りをつけられたので、こういう仕事を与えてくださったことに感謝の気持ちしかないですね。

「このままではプロになれない」。意を決して大学へ

高校生のときから大学に行くことを考えていましたか?

高卒でプロに行くことを目標にしていたので、当初は大学進学を全く考えていませんでした。
私の高校の野球部は、侍ジャパンの監督を務めたこともある小久保裕紀(こくぼ ひろき)さんをはじめ、プロ野球選手を7名ほど輩出していたので、そんな先輩方の背中を追いたいという想いでプロ野球選手を目指していました。

大学進学を決めたのはいつ頃ですか?

高校2年生の春に、たまたま甲子園常連の強豪校と対戦した際に、調子が良くて勢いだけで抑えてしまったんですよ。それが自信になって「プロ野球選手になりたい」という目標がどんどん強くなっていく中で、大学からも声をかけていただくことも増えてきたんです。

とはいえ、今の自分の力でドラフト指名をされるかというと微妙で、そんなに甘くない世界だと気づき始めたときに、声をかけてくれた大学が帝塚山大学だったんです。

当時、帝塚山大学の総監督をされていた方が小久保さんに指導をしていた方で「うちに来い」と2年生の春明けぐらいからずっと言ってくれていたので、必要とされているところでチャレンジするのも面白いなと思い、縁を感じて帝塚山大学への進学を決めました。

できる限り野球が強い大学に入りたいという気持ちはありましたか?

どんな大学に進もうとも、最終的には自分がどれだけそこで頑張るかによって、自分の将来が決まってくるのだろうと考えていました。

当時もやはり「どうして帝塚山大学へ行くの?」という声はあったんです。

自分が元々行きたかったのは、東北の強豪大学で、そこはドラフト指名をされる選手もたくさんいましたし、「どうしてそっちに行かないんだ」という声もあったのですが、最終的にその場所で自分が何をするかだと思っていましたし、自分がどれだけ頑張るかで、自分の将来が決まってくるという考えは高校の頃から持っていたので、帝塚山大学に決めました。

目標と習慣を変えたことで成長できた大学スポーツ

成績向上のために工夫したことを教えてください。

習慣作りを大事にしていました。
1日24時間は平等に与えられている中で、授業の時間や練習ができる時間、その他の時間をまずは自分で把握して、やることをルーティン化していましたね。
大目標を立てて「この目標を達成するためにこういう行動をする」と、さらに細かい目標設定を立てながらやることで、無駄な時間を無くして、ルーティン化を図れるようにしようと大学2年生くらいからずっと継続してやっていました。

大学スポーツで困難だったこと、それをどう乗り越えたか教えてください。

「プロ野球選手になりたい」という目標はあったものの、大学を卒業するときにまだまだプロに行ける力が自分には足りなかったので「社会人野球に進みたい」と思うようになりました。
しかし、社会人野球に進むにはテストを受ける必要があり、いくつか入団テストも受けたのですが、なかなか合格をいただけなくて。
最後に受けたところもお返事をいただいたのが4年生の10月だったので「どうしよう?」と焦りを感じていたその時期が大学4年間で一番しんどかったです。

あとは大学リーグの1部になかなか昇格できなかったことも辛かったですね。
いつも惜しいところまで行くにもかかわらず、あと一歩で1部昇格ができない状況が続いたときに、「1部に行く」という目標ではなく「1部で優勝する」という目標を持つように意識を変えたおかげで、それまで以上に自分たちにプレッシャーをかけることができ、4年生の春の大会で1部昇格を果たしました。
1部昇格という壁は間違いなく自分一人では乗り越えられるものではなく、チームメイトの協力があるからこそ乗り越えられた壁だと思っています。

将来を見据えてスポーツをすることが大切

大学でやっておけば良かったと思い返すことはありますか?

選択肢を増やすためにも、教員免許を取っておけば良かったなという後悔はあります。
今はこの職に就いているので良いのですが、自分が引退したときに選択肢の幅を広げるという意味で資格を持っておけば良かったと思います。

今でこそ野球に携わりながらご飯を食べさせてもらっていますが「100人いれば100人できるか」というとそうではありません。
もしものときのために、選択肢の幅、可能性を広げていかなければならないと感じました。

大学でスポーツをすることにはどんな意義がありますか?

自分の視野や可能性を広げることだと思います。

また、大学スポーツをすることで自分にしかできない強みを作ることができるのではないかと私は思いますね。そこで残した成績だけでなく、一人の人間として強みが生まれるんです。
ただ、しっかり覚悟と責任を持たないと、遊んで4年間が終わってしまうというのは伝えたいです。

これから大学へ進む高校生へ

親御さんや先生など、アドバイスをくれたり勧めてくれる人が身近にいると思うのですが、もし自分で納得がいかないのであれば、そこは正直になるべきですし、最後は自分で決断してほしいなと思います。
そうでなければ「あのときこう言われたから」と言い訳できる材料が増えてしまいますし、後悔に繋がると思うので、最終的には自分で決断していってほしいなと、みなさんより早く生きた人間としてお伝えできるかなと思います。

 

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