壁の向こう側へ!挑戦に立ち向かう|バレーボール中野 樹里さん

中野 樹里さんインタビュー動画

中野 樹里さん

profile

和歌山県出身。
和歌山県立箕島高校から帝塚山大学へ進学し、文学部日本文化学科に所属しながらバレーボールに打ち込む。3年生~4年生のときに秋リーグで全勝優勝の2連覇を成し遂げ、大学4年生のときは関西インカレ初優勝、天皇・皇后杯初出場3冠。
現在は介護士をしながら、アウトサイドヒッターとしてブレス浜松でプレーしている。

nakano

行くからには、強いチームに

高校生のとき、どのような経緯で進路をお決めになりましたか。

中学で、バレーボールを続けるか続けないかってなったとき、やっぱり続けたいという気持ちになって。中学の部活が夏に引退になったので、夏休みに箕島高校の練習に行かせてもらい、箕島高校のバレーにすごく惹かれて。箕島高校に行くと決めて、夏休みからずっと練習に参加させてもらっていました。

大学でバレーボールをするというのは決めていらっしゃいましたか。

高校でバレーボールはやめようかなと思っていました。
スポーツトレーナーにすごくなりたかったんです。専門学校に通おうまで決めていたんですけど、高校の先生にバレーボールをした方がいいってすごく勧められて。結構推薦とかも頂いていたので、それならもう1回考えてみようかなと思って。
親ともすごい話をしました。「やっぱり推薦、声かけてもらっているのはすごくありがたいことだし、自分を必要としてくれている大学があるんだって思ったら、行った方がいい」って親にすごく勧められて、それで監督にも勧められて、行くしかないと思って行きました。

その中で帝塚山大学に決められたのは、どういった経緯でしたか。

西は広島県、東は東京の大学から声をかけてもらっていたんですけど、関西から出るのはちょっとってなって。で、家から通える大学からも推薦を頂いていたんですけど、やっぱり行くからには、強いチームに行きたいなと。
帝塚山大学が1部に入っていたので、そのときの大学の監督さんといろいろ話をして練習に参加させてもらい、高校の先生と大学の先生がたくさん話をして、練習試合とかいっぱいさせてもらって。そして帝塚山大学に行くと決めて、行きました。

学部はなぜ文学部文日本文化学科にお決めになられたんですか。

高校のときから、ずっと社会の授業が好きで。大学入るときに、「中高の社会の先生の免許を取るんだ」って決めて、文学部に入りました。
でも、教職の免許を取るとなったら、土曜日も授業に行かないといけなくて。リーグ戦が土曜日で被ってしまったので、諦めてしまいました。
やっぱり社会の免許を取りたかったです。バレー終わって、第2の人生が始まったときに、やっぱり資格を手にしているのとしてないのでは全然違うなって思ったので。

考え続けた大学。コミュニケーション力がついた

高校の部活動と大学の部活動では違いはありましたか。

高校生のときは、監督の考えがあって、それを生徒がする。大学はそれとは逆で、自分たちで考えて、監督はいるだけ。自分たちがどうなりたいのか、自分たちがどういうふうに練習していきたいのかをしっかり考えるところが1番の違いだったと思います。
大学に入ってすぐくらいのときはやっぱりまだ高校生の考え方で、先輩についていくっていう感じでした。でも先輩方が抜けていって、学年が上がることによって、考え方、人の考え方を自分のものにしたり、考える幅が広くなりました。こういうふうになりたかったら、こういう練習をしないとダメっていうのも自然に考えられるようになってきました。

どういった力が付いたというふうに思われますか。

自分の考えを相手に伝える能力が多分1番付きました。自分だけが分かっていても、チームスポーツなので周りが分かってないとダメっていう部分が1番大きいと思うので、自分が伝えたいことを相手にどのようにしたら分かりやすく伝わるかっていう文章力、自分の中で考える能力が付いたっていうのもあるし。
やっぱり後輩に声をかけるタイミングが1番難しくて。自分たちのチームは、後輩がほとんど出ていて、自分たちの学年は2人しか出てなかったので、後輩に助けてもらう部分がすごく多かったんです。後輩が調子悪いとき、そういうときにどう声をかけていいのか、どのタイミングでどういう声かけをしたら後輩が自分のプレーを取り戻してくれるのか、すごく自分の中で悩んで難しかったです。
同じポジションの後輩の子がいたんですけど、その子が結構監督に怒られることが多くて。自分の中で同じポジションだったから助けてあげたい。どういうふうに声をかけたらいいのかってなったときに、励ましの声をかけると嫌がるタイプだったんです。この声かけは間違っていたのかなと思って。じゃ、逆に喝を入れた方がいいかなって思って喝を入れたら、いつも以上の力を発揮してくれたときがありました。この子は励ますよりも、ちょっと喝を入れた方がいいんだなって思って。この子はこういうタイプなんだと思ったというエピソードがあります。

自分の壁を越え続ける

部活の中で、どのような壁があったというふうに思われますか。

自分の壁を越えられないっていうのが1番ありました。1つできるようになったら、さらにもう1つもう2つ求められることが多くて、それを自分の中でクリアしていかないといけない。でも、どうしても立ち止まることが多くて、プレーの質も自然に下がってきちゃって。そこの停滞を抜け出すっていうのが、自分の中でバレー人生の中でずっと苦しい部分でした。今も続いてるんですけど。
でも1つの壁をクリアしたらバレーの質も上がるし、試合に自然と勝ちにつながる部分も多いんです。自分結構負けず嫌いなので、人に負けたくないっていうのもあるんですけど、自分の壁に負けるのがすごく嫌。どうしても全部クリアしたいと思っちゃうので。
バレー人生は、自分の壁を越えるのが1番難しいと思います。

高校生へメッセージをお願いいたします。

進路とかたくさん悩むことがあると思うんですけど、悩むってことは、自分の中でこうしたいっていう多分意思がちょっとあると思うので、悩んだときは迷わずに悩んだ道に進んでほしいです。そしたら、きっと良いことがあります。私は、その感じでやって、今成績を残せていたりとか、バレーボールを続けられたりとか、自分の中でプラスの人生に進んでいます。悩んだら絶対その決断を、自分を信じて、その決断を出してほしいです。

 

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